津地方裁判所 昭和28年(ワ)96号 判決 1956年11月02日
原告 山田寛
被告 川合盛一郎
主文
被告は原告に対し金七万千六百六十六円を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
一、原告の主張
原告は、「一、被告は日没後日出前は被告工場における精麦機械の運転をしてはならない。二、被告は原告宅地上を通過する高圧電線を取除け。三、被告はその工場における防音、防震動、防塵、防煤煙、防火災の設備を完全に為せ。四、被告は原告に対し本訴状送達の日の翌日から前各号の処置及び設備を完全に為すまで一カ月金十万円の割合による損害金を支払え。五、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め
その請求の原因として
「原告は戦前から永らく肩書地に土地及び家屋を所有して居住しているものであるが、同所一帯は元は閑静な住宅街であつたところ、戦災による家屋焼失の結果、復興都市計画として、原告所有地の一部とこれに隣接する訴外小林源六及び同村田某の各所有地の一部が被告所有地の換地として指定せられ、被告は右訴外人等の換地をも買収して被告肩書地に精麦工場を建設し精麦業を営むに至つた。被告は右工場にボイラー、電動機、精麦機械等十数基を備え付け、昼夜を分たず運転し、隣地の原告方に塵埃、糠粉、煤煙を散布し、その騒音と震動は耳を聾するばかりで、殊に夜間の作業は安眠を妨害し、そのために原告一家の健康は甚しく害せられるばかりでなく、震動により家屋の破損する等有形無形の損害が甚しいのである。又被告工場における防火災の設備も不完全で常に危険にさらされ、又原告所有地上を通過する被告工場の動力用高圧電線は何時断線するとも計り知れざるものであり、若しこれが一朝不時の出来事のため断線することあらんか、これによつて感電の害を蒙るものは原告家人である。かくの如く被告は原告所有家屋の所有権及び原告一家の身体生命財産を侵害し且つ将来においても侵害する虞があるから、原告は被告に対し原告所有の土地家屋の所有権に基き妨害排除並びに妨害予防請求として、日没後日出前における被告工場の精麦機械の運転禁止、原告宅地上を通過する高圧電線の取除き及び被告工場における防音、防震動、防塵、防煤煙、防火災の設備を完全にすることを求め、且つ被告工場から常に不快な音響を発することによつて原告一家の蒙つた甚しい精神的苦痛に対する慰藉料として、本件訴状送達の日の翌日から前記各処置及び設備を完全に為すまで、一カ月金十万円の割合による損害賠償を求めるため本訴請求に及んだ。」と述べ、
被告の主張に対し
「被告が昭和二十九年九月頃工場を改造し、高圧電線を取除いたこと、又原告所有地と被告所有地との境界上に存する塀を高くしたことにより原告の蒙る損害が幾分以前より少くなつたこと、右改造以後、被告は通常午後七、八時か遅くとも午後十時には終業するようになつたことはいずれもこれを認める。しかしながら、被告が本訴提起後右改造するまでの約一年有余、昼夜継続して機械を運転して居た事実に徴すれば、被告は本件訴訟終了後再び昼夜運転をする虞が多分にある。」と述べた。
二、被告の答弁及び主張
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告主張事実中、原告居住の土地及び家屋と被告の居住地とが互に隣り合つていること及び被告が自己の居住地内に精麦工場を設け精麦業を営んでいること、原告宅地上を高圧電線が通つていたことはいずれもこれを認めるがその余の事実は否認する。右高圧電線の敷設者は電力会社であつて被告ではないから、被告は原告所有の土地の所有権を侵害したものではない。」と述べ、
抗弁として
「被告工場の夜間作業、塵埃、糠粉、煤煙、騒音、震動等は原告の主張する程甚しい程度のものではなく、かかる程度のものは社会通念上原告において忍容すべき義務のあるものである。すなわち、被告工場は原則として夜間作業を行つて居らず、唯過去において、政府より割当てられた精麦委託加工に納期限が指定されていた関係上、食糧事情のため已むを得ず夜間まで作業を延長したことがあつたが、これは例外に過ぎない。且つ今後の食糧事情から見て将来夜間作業することは殆んど有り得ないことである。又被告工場は精麦すなわち原麦の搗精と圧延のみで製粉を行つておらず、且つ工場内に吸粉、吸塵のための特別室を設け、塵挨が工場外に飛散する以前にこれ等を一カ所に誘導吸引する設備を施している。しかしながら、その少部分が工場外に脱出し一部隣地に飛散することを絶滅することは事実上困難であつて或る程度までは社会通念に照して認容せらるべきものであつて、本件の場合もとよりこの限度を超えていない。又被告工場の設備の維持並びに就業に関しては、建築基準法等一切の取締法規を遵守して居り、精麦が機械的作用によつて行われる以上或る程度の騒音と震動は避け難い。
なお、被告は昭和二十九年七月二十七日頃金七百五十万円の費用で工場を改造し、騒音、塵埃、糠粉、震動の防止設備を完成し、且つ原告宅地上に架設されていた高圧電線を取除いた。」と述べた。
三、立証<省略>
理由
原告がその肩書地に宅地及び家屋を所有してこれに居住していること、及び右宅地に隣接して被告の居住地があり、被告が右居住地に精麦工場を建設し、精麦業を営んでいることは本件当事者間において争いのないところである。
よつて本件最後の口頭弁論当時において、被告の右工場より発生する騒音、震動、塵埃等によつて、或は又被告方工場の設備によつて、原告の右土地建物に対する所有権を侵害し、若しくはその虞があるか否かについては案ずるに、先ず、原告所有の右宅地上を被告方工場の動力用高圧電線が通つていたことは本件当時者間に争いのないところであるが、右高圧電線は被告が昭和二十九年右工場の改造をなした際除去されたことは本件当事者間に争いのないところである。
然らば右高圧電線が存在しない現在、原告が右高圧電線の除去を求める本訴請求が失当であることは明らかである。
証人山田千代、同信藤俊三の各証言及び当裁判所の検証(第一、二回)の結果を総合すれば、被告が右工場を改造する以前においては、被告工場より可なりの騒音、震動、塵埃を発生し、これがために原告所有の土地家屋に相当の被害を及ぼしたことが認められるが、被告が昭和二十九年夏頃右工場を改造し、防音、防震、防塵の措置を講じたことは本当事者間に争いのないところであるから、被告の右工場改造後の現在もなお被告工場より発生する騷音、震動、塵埃によつて、原告所有の土地家屋に被害を及ぼしているか否かについて案ずるに、先ず塵埃等の点について見れば、前記各証拠及び原告本人尋問の結果を総合すると、右工場改造前においては被告工場から塵埃、糠粉、煤煙等が飛散し原告住家及び事務所の南側(被告工場と接する側)のガラス桟及び庭木等に糠粉、塵埃等が附着したが、改造後はその飛来が少くなり、時に風の具合によつて飛来し、原告方南方の松の木に白い粉が附着する程度になつたこと、煤煙は右改造の頃以後被告方の使用燃料が変更せられたため以前よりは少なくなつたことがそれぞれ認められる。
つぎに被告工場より発生する騒音及び震動の点について考察するに、前記各証拠及び鑑定人竹内竜一、同鳥海勲の各鑑定の結果を総合すると、右改造はこの点においては余りその効果がなく、むしろ改造後の方が人体に対してひどく感じられること現在においても時によつて異るが原告方のガラスがビービーと響き、又来訪者が地震かと驚くこともあることが認められるがその程度は、震動においては有感限界線(人体に感じ得る最低限度)又はそれ以下のものであり、騒音は人の聴器に器質的変化を起す程のものではなく、通常日常生治に障害を及ぼす限度以下のものであることが認められる。又原告方の建物の影響については、原告本人尋問の結果によれば、改造前は戸障子の閉らなくなつたこともあつたが、改造後はいくらかそういうことが少くなつたことが認められる。
つぎに防火災設備については、証人山田千代及び同河原盛人の各証言を総合すると、前記改造に際し原告宅地に近くあつたトランスが別の箇所に移され、又ボイラーと高圧パイプがガラス繊維でつつまれ、消防署の許可も受けたので火災の危険も可なり減少したことが認められる。
そこで案ずるに、所有権は勿論尊重せらるべきであるが、都会生活をする以上、多少の騒音、震動、塵埃等はこれを耐忍しなければならない。当裁判所の検証の結果及び前記鑑定の結果を総合すれば、現在被告が施している防音、防震、防塵、防火災の程度では未だ完璧とはいい難く、近隣に居住する原告等が迷惑することは容易にこれを認め得るところであるけれども、被告としても可及的にその被害を防止する設備をなしたのであるから、原告としてもこの程度で我慢しなければならないものといわなければならない。
証人山田千代、同信藤俊三、同河原盛人の各証言を総合すれば被告は昭和二十六年八月頃から昭和二十九年夏右工場を改造するまでは機械の昼夜運転を継続していたが、右改造後は午後八時前後、遅くとも午後十時頃までには機械の運転を止めていることが認められる。而して証人河原盛人の証言によれば夜間作業は専ら改造前の旧式の機械によつたことと食糧事情のために已むことを得ずしてなしたものであることが認められ、食糧事情が好転している現在においては被告が今後深夜作業をする虞は消滅しているものと解せられる。
原告は被告に対して日没後日出前の機械運転を中止すべきことを請求しているが、被告が現在においては前記認定のごとく午後八時頃、遅くとも午後十時頃までには機械の運転を止めていること、及び右機械から発する騒音、震動も前記認定のごとく人の日常生活に障害を及ぼす限度以下のものであることに徴すれば、原告は現状の程度で我慢しなければならぬものというべきである。
よつて以上認定の諸般の事情を総合して、原告の夜間作業の禁止、高圧電線の取除き、防音、防震動、防塵、防煤煙、防火災の完全設備を求める本訴請求は理由がないものとしてこれを棄却すべきものとする。
つぎに原告主張の慰藉料の請求について案ずるに、証人山田千代の証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、被告は右工場の改造をするまで深夜作業を続けており、そのため、原告及びその家族が精神の安静を害せられ、又安眠を妨げられて精神的苦痛を蒙つたことが認められ、又証人山田千代及び同河原盛人の各証言を総合すれば、被告の深夜作業は被告が本件工場を設置した昭和二十六年八月頃より右工場を改造した昭和二十九年夏頃まで続いたことが認められるから、その長年月に亘る騷音、震動、塵埃等のため原告等一家の者が甚しく悩まされたことはこれを推測するに難くない。被告としては住宅街の中に精麦工場を設置する以上、当然騷音、震動、塵埃の飛散を防止するに必要な設備をなしたうえこれを操業すべきであつて、その設備をなさずして慢然しかも深夜操業するが如きは、法律的にも又徳義上からも許さるべきことではない。而も被告が現在のように防音、防震、防塵の可及的設備をなすことは当初から不可能ではなかつたのである。然らば被告が右設備を怠つたまま深夜営業をしたため他人に損害を与えたとすれば、それは被告の故意又は過失による(被告は自己の工場より発生する騒音、震動、塵埃により他人が損害を蒙ることは知り又は知り得べかりし筈である)不法行為として右損害を賠償する責任があるものといわなければならない。
よつて原告が被告の不法行為によつて蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料の額について案ずるに、原告本人尋問の結果及び当裁判所の検証(第一回)の結果によつて認められる、原告が本年六十七才の公証人であつて右肩書地において公証役場を経営していること、証人河原盛人の証言によつて認められる、被告が従業員十三名を使用して津市で第二番目の精麦業を経営している事実、及び前記原告の被害程度等を総合判断して、原告の右精神的苦痛は被告より右不法行為の継続中一カ月金五千円の割合による金員を受領することによつて慰藉せらるべきものと認めるを相当とする。而してその慰藉料算定の期間は、原告は本件訴状が被告に送達せられた日の翌日以降の慰藉料を請求しているから、本件訴状が被告に送達せられた日の翌日であることと記録上明らかである昭和二十八年六月二十一日を起算日とし、その終期については、証人山田千代、同信藤俊三は被告が右工場を改造したのは昭和二十九年七月頃であつたと証言し、証人河原盛人は、被告が右工場の改造に着手したのは昭和二十九年六月であつて、これが完成したのは同年十一月であつたと供述するから、被告が機械の増設等をほぼ完了して深夜作業をやめたのは、右各証言と改造工事の進捗程度を勘案して大体昭和二十九年八月頃であつたであろうと推認できるから、被告が深夜作業をやめた昭和二十九年八月末日を以つて右損害賠償をなすべき期間の終期と認めるを相当とする。よつて被告が原告に支払うべき慰藉料は、昭和二十八年六月二十一日より昭和二十九年八月三十一日まで一カ月金五千円の割合による金員、即ち金七万千六百六十六円を以つて相当と認める。
よつて原告の本件慰藉料の請求は被告に対して金七万千六百六十六円の支払を求める限度において正当としてこれを認容しその余は失当としてこれを棄却すべきものとする。
以上の理由により、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条但書を適用したうえ主文のとおり判決する。
(裁判官 松本重美 西川豊長 喜多佐久次)